独女の本音

好き勝手に書ける場所が欲しかった

どうしても開かない業務スーパーの瓶と戦った話

 

さっき、業務スーパーでトルティーヤの生地とピザのソースを買ってきた。

 

おやつに食べようと思ったからだ。

 

 

 

トルティーヤのミニ生地にピザソースをぬり、チーズをかけ、気分でバジルソースをかける。

 

そしてレンジのオーブンでチン。

 

すると、ミニピザが作れて、美味しいことをわたしは知っている。

 

 

 

しかし蓋がなかなか開かないのだ。

 

 

 

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色んな体勢で、色んな角度で、試してもびくともしない。

 

 

わたしの脳みそではこれ以上は無理だとわかり、

「蓋 かたい 開け方」でググった。

 

 

どうも腕の力を使って開けるといいらしい。

 

 

『1. まず右手で蓋をしっかりつかむ。左手は瓶本体を握る。(右利きの方の場合。)
2. そのまま腕を前へ伸ばす。胸の前ぐらいの高さに。
3. 両手にしっかり力を込めて「手首を動かさないよう」に意識しながら、肘を曲げて瓶を引き寄せる。

コツは「手首を動かさない」意識。

腕をうまく使うことができれば、女性でも簡単に瓶の蓋を開けることができる!』

 

ということらしい。

 

 

 

 

 

だめだった。

 

腕だけではだめで、脚まで使ったがだめだった。

 

 

もう手のひらが悲鳴をあげている。

 

もう握力がないよ

擦れて痛いよ

 

と言っている。

 

 

 

もう限界が近い。

 

 

次の戦略に進む。

 

 

 

 

次の戦略として、蓋の部分だけを50度以上の湯煎で温めるといいらしい。

 

蓋の部分があたたまると膨張してビンとの間に隙間ができて開けやすくなるそうだ。

 

 

 

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ここにも書いてある。

 

 

なんだかこの方法は希望がありそうだ。

 

 

 

 

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湯煎。

 

 

 

 

 

 

 

開かぬぅううう!!!

 

 

開かぬよ!!!!!!!

 

 

 

もう手が無理だよ!!!!!

 

 

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真っ赤でなぜかカピカピに乾燥してきたよ!!!!

 

 

 

痛い!!!!

 

 

 

 

でも諦めたくないよ。

 

 

 

 

 

 

 

でももうノーマルの方法じゃ無理。

 

 

フライパンの湯煎時にブクブク沸騰させ、蓋を触れないくらい熱々にし、濡れタオルで蓋を掴み、瓶を脚の間に挟んで残っている力の全てで力んだ。

 

 

 

 

 

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ぱかっ

 

 

 

 

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開いた・・・

 

 

 

 

やっと開いた。

 

 

嬉しい・・・

 

 

 

 

 

ピザソースぬって

チーズのっけて

 

チン。

 

 

 

 

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生地取り出すときに下の生地にはっついてて真っ二つに割れた生地だけど、もうそんなことは気にならない。

 

 

だってやっと食べられたから。

 

 

 

 

業務スーパーのピザソースの味はちょっと濃いんだな。

 

 

こんなにたくさん使い切れるかな。

 

 

 

でももうそんなことは難しい問題ではない。

 

 

 

 

諦めない大切さ

今に集中して生きること

食べ物への感謝

便利道具のありがたさ

 

 

色んなことを教えてくれたソースだから。

 

 

 

ごちそうさまでした。

 

 

 

彼氏の実家に初めて行った

 

今日初めて彼氏の実家にお邪魔した。

 

彼の生い立ちなどの背景を知って、まだ一段彼への理解度は深められたと思う。

 

例えば、何故こんなに酒乱なのか?だ。

 

 

彼は酒を飲みすぎて調子に乗ると、別人のようになったりする。

 

持っていたはずのカバンやスマホ、大事な書類までどこかに置いてきてしまうのだ。

 

 

わたしには意味がわからない。

 

外で理性を放し飼いにするまで飲もうとする意思が、理解できない。

 

 

しかし彼の実家に答えがあった。

 

お父さんがそのままそうだったのだ。

 

 

酔っ払って階段から転げ落ちて骨折をしたり、歩けなくなるまで飲むことに拒絶反応がないみたいだ。

 

 

 

わたしはそれを見て理解した。

 

 

彼の潜在意識が、酒乱になることを許しているんだと。

 

 

人間というのは、親の影響を一番に受けている。

自覚がなくても、無意識下で膨大に受けているのだ。

 

つまり心のどこかで、親がやることは正しいと無意識的に思ってしまう可能性があるのだ。

 

 

確かに、自分の命を守り育ててくれる存在である親を、子供が盲信してしまうというのはわかる話だ。

 

 

子供のころに受けた親の姿という影響が、じわじわと潜在意識に刷り込まれて、一種の洗脳状態になっているのだ。

 

 

 

だから、彼の場合も酒乱の父親の姿を見て育った影響で、

 

「酒乱は許されることだ」

「むしろそうあるべきだ」

 

などと思っているのではないだろうか。

 

 

なぜならばそんな父親のことが今でも好きな自分がいるからだ。

 

 

父親が好き

酒乱は許されることだ

 

という認識を別で考えられるようにならなければ、彼の酒乱が治ることはないんじゃないかと考えている。

 

 

父親への感情と

酒乱への意識を

わけて考える必要がある。

 

と本人が腑に落として気づかなければ変わることは難しい。

 

 

 

 

別にわたしは楽しく酒を飲むのがいけないとは一切思わない。

 

まだ親しくない人間同士が親しくなるためのツールにもなるし、

 

本音で生きられずにストレスを溜めがちな人が、本音を出せてリラックスできるための薬にもなるからだ。

 

 

 

ただ、酒乱というのは自分のことは満たせても、他人の精神を削る行為なのだ。

 

心にもない言葉を言われるときもあるし、家につくまでの帰り道だって気を遣ってあげなければならない。

 

酒をのんで、あー楽しかった!でルンルンで帰れるはずだったのに、

 

吐かないかな?

転ばないかな?

ちゃんと家にたどり着けるかな?

落とし物しないかな?

 

酒乱がいなければ必要のないいくつもの要素を意識にあげながら、エスコートしなければならないのである。

 

 

珍しく酔っ払いすぎてしまったならまだしも、それを繰り返すのが酒乱である。

 

 

そんな人様の精神を喰う行為をしていて、果たして死ぬ時、幸せな人生だった、と心から言えるのだろうか?

 

 

 

わたしは飲まなくても困らない酒を飲まれて、酒乱癖のせいで精神を削られるのはまっぴらごめんだ。

 

 

 

彼がどうか酒乱の面倒を見なきゃいけない側の気持ちを知り、自分も人も楽しい酒という飲み方をマスターしてくれることを祈るばかりだ。

 

 

人と話せない10日間・・ヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきた

 

ヴィパッサナー瞑想」というものをご存知でしょうか?

約2500年前にインドの「仏陀」こと、「シッダルタ」という王子が悟りに辿り着いた方法です。

 

そんなヴィパッサナー瞑想の合宿に、一度も瞑想したことのないわたしが行ってきました。

 

これから行こうとしてらっしゃる方にとっては、先入観になってしまう恐れがあるのでお気を付けください。

瞑想の効果は人それぞれ、それこそ十人十色だと言います。

あなたの感覚の邪魔になる危険がありましたら、読まずにいてください。

 

 

とりあえず、結論!

行って良かったのか悪かったのかでいうと、間違いなく行ってよかった!です。

 

 

そもそもなんで行ったのか?

集中力がないのと、自分らしさが何なのかわからなかったからです。

 

「あ~今日は疲れてるから、しょうがないよね。明日にしよう」

「あれ?作業してたはずなのに、いつの間にか漫画読んでた」

など、自分に甘くさぼってしまったり、

部屋の掃除してたら懐かしい写真とか手紙読んでて、もう夜になってた。なんて経験ないですか?

 

わたしはそりゃもう頻繁に。毎日のようにあったんです。

「時間」というのはダイレクトに自分の「命」であると思っているのに、こんなに無駄にしてていいのだろうか・・気持ちはあるのに、行動が伴わない・・なんて日々。

 

そして、脳科学的にも「やらなきゃいけないこと」って意識で仕事や物事に取り込むよりも、「やりたい!」とワクワクしながら取り組んだ方が結果も気持ちもプラスであることは事実。

でも、心から「やりたい!」とワクワクすることが、収入に繋がる糸口が見えずに、、何したらいいんや・・わたしゃ何がしたいんや・・と悶々としていました。

 

そこで、「人生変えよう」と思い立って仕事をやめたので、このタイミングで10日間の山籠もり(笑)のような合宿に行ってきたのです。

 

初日

14~17時集合とのことだったので、16時ごろにつくように行きました。

最寄りのバス停まで送迎車を出してくれてるみたいですが、送ってもらったので、それより早く着きました。

 

着いたはいいけど、建物と自然があるだけでどこに行っていいのかわからずおろおろしていると、男性のスタッフさんが気づいてくれ、「初めての方ですか?そこのベンチのところに荷物を置いて、女性は奥が受付なのであちらに行ってください。」と案内してくれました。

「貴重品もですか?」と聞くと、「貴重品は、財布とスマホを預けるので持って行ってください」と。

 

そして受付で、初心者は相部屋のA棟に泊まるのですが、8番ベッドの紙を渡されました。B棟は「古い生徒」さん用の経験者用の棟になっています。

 

A棟に入ってみると、2~3人の外人さんが中にいました。

ベッドにシーツなどの準備をしていると、6番まではベッドの両側にカーテンの仕切りがついてて、一人の空間を作れますが、7番以降はカーテンの仕切りもなく、他の方のベッドと30~50センチちょっとの隙間しかないことに気づきました。

まじか・・と。

 

なので6番以降の10個のベッドはみんな丸見え状態で過ごしたり寝たりということ。

 

多分・・現地に着いた順なのかな??

(でも最終日まで間間に3~4個空いたベッドがあったので、どう決まっているのかは謎です。)

ベッドの案内と同時に瞑想時の席の番号も渡されます。(瞑想時も10日間同じ席に座ります。)

 

受付の際に当日はシャワーできるのが21時すぎになるので、準備が終わったら先に入ってしまった方がいいと、言われたのでとりあえずシャワーに。

5:30からオリエンテーションがあるので、その前に済ませました。これは正解だったと思う。

初心者の女性が18人(A棟)と、経験者の女性10人くらい(B棟)で3つのシャワー室を使うので、いつでも入れるわけではないのです。10人なのかは曖昧だけど、初心者の人数よりは少なく募集してるはず。

 

 

でもドライヤーが見つからなくて、「え?え?持ち物にドライヤーって書いてあったっけ??」と思いながら、部屋に戻り隣のベッドの方に聞くも、日本語通じず、、!「ドゥライヤぁー!ヘア!ヘア!」などと聞くと、「モッテキテナイ」的なことをお返事頂きました。

 

どうすっかなーと、荷物の整理の続きをしていると、「シャワールーム、サイドアウト、ドライヤー」的なワードをシャワー室を指しながらさっきの外人さんが教えてくれました。

行ってみると、シャワー室の横に青い金属箱の中に数台のドライヤーが。助かった。

 

その後

18時:菜食が出る

 

19時:コースマネージャーの方(合宿中困ったことがあれば唯一話しかけていい方)や、スタッフさんの自己紹介やご挨拶、コース中の注意事項の説明

 

20時:一度目の瞑想

 

21時30分:就寝

 

となっていました。

オリエンテーションが終わったときから、「聖なる沈黙」と呼ばれる、話してはいけない、触れてはいけない、期間のスタートです。

 

初日はまだ環境を把握するのにドギマギしていて、瞑想については1時間じっと座るって、長いんだなぁ・・くらいで終わりました。

 

しかし相部屋に慣れておらず、耳栓を持って行ったのに周りの音が気になって一睡もできずに、朝の4時を迎え2日目がスタートしました。

 

 

2日目

2日目から最終日までのスケジュールは、4日目以外は全て一緒です。

午前4時:      起床
午前4時30分~6時30分:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午前6時30分~8時:   朝食と休憩
午前8時~9時:   ホールにてグループ瞑想
午前9時~11時:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午前11時~12時:   昼食
午後12時~1時:   休憩および指導者への質問
午後1時~2時30分:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後2時30分~3時30分:   ホールにてグループ瞑想
午後3時30分~5時:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後5時~6時:   ティータイム
午後6時~7時:   ホールにてグループ瞑想
午後7時~8時15分:   講話
午後8時15分~9時:   ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後9時~9時30分:   ホールにて質問
午後9時30分:   就寝

 

バイブレーション式のアラーム腕時計をわざわざ買って行ったので、3:55にかけて起床しました(寝てないけど)。

シャワールームと同じ建物にある洗面に行くと2~3人しかおらず。もっといるかとおもったのに、混んでおらず爽快。

ここには自由に飲めるお茶、水、お湯が置いてあるので、ガブガブ飲んで4:30からホールに行きました。

すると、空腹でがぶ飲みしたせいで、しーーーんとしているホール内に「グギュルルルルルゥ」とお腹の音が響き渡る結果に。他にも鳴っている方は結構いるのですが、ここまで大きい音で鳴ってなかったので、ちょっと恥ずかしくなり変な汗かきました。

次は瞑想前は水分少な目で挑んでみようと思いました。

 

日程表に書いておる通り、瞑想時は「ホールまたは自分の部屋で瞑想 」と「ホールにてグループ瞑想 」があります。

なんのことかと思っていたのですが、「ホールまたは自分の部屋で瞑想 」は自分のベッドの上でやってもいいよ~ってことで、「ホールにてグループ瞑想」は1時間ホールから出ちゃだめだし、絶対瞑想に集中する時間みたいな感じでした。

 

ベッドの上じゃなぁと思って、せっかくきたなら最大限の努力するぜ!スタンスだったわたしは、「ホールまたは自分の部屋で瞑想 」のときも全部ホールに行ってました。

とはゆうても、2時間くらいずっと座っていることは厳しいので、眠くなってしまったときに、目を覚ましがてら宿舎に飲み物飲みに帰りました。

すると、なんと、ほとんどの人が寝ている・・!!!「えええぇええ」と思いました。

こんなとこまで何しにきてるんや・・お昼寝にきたんか・・と。

 

その中で瞑想してみましたが、物音を気にしない人もいるし、寝返りするシーツやいびきはうるさいし、ホールに戻りました。

 

食事もセルフ形式なので、なくなったらやだなぁと早めに食堂に行っていたし、寝る時も耳栓して寝たし、なんだか焦ったり疲れたけど気力で疲れを感じないような一日でした。

 

ご飯は、美味しい!!ってクオリティではないけれど、普段お肉を避けているわたしにとってはとても安らぐものでした。

 

そういえばシャワーは2日目からは時間表で、何時に誰が入るとか予定表に書きます。これ・・記入順の早いもの勝ちだったなぁ・・。

 

一日ずつ時間決めるものだと思ってたけど、10日分全部最初に記入できるみたいで、気づいた人から良さげな時間を取ってました。

わたしはせかせかせずにいたら、空いていたお昼の時間帯になりました。

シャワールームの横にホワイトボードがかけられているので、名前を記入して予約しておきます。

 

毎晩19~20:30に講話の時間があります。

この日の講話では「2日目、そして5~6日目に辛くなり、この場から逃げ出したいと思うと思います」などとそのときの心境をズバリあててくるような話しが流されます。

このズバリ言ってくる、5~6日目の辛さをわたしはまだ知りませんでした。

 

3日目

昨日そんなに早く起きなくても4:30からの瞑想に間に合うことがわかったので、4時の鐘の音に合わせて起きました。

4:10以降からは洗面が少し混みあうようです。

 

昨日の腹鳴り爆音問題を受けて、今日は水分を半口だけ飲んで朝の瞑想に。

 すると、昨日のような音は鳴らず!!

 まさか瞑想でお腹まで観察できると思ってなかったので、自分の身体に気づくってこういうことでもあるのか・・と思いました。

 

今日も瞑想は全部ホールに行きました。

そして、奥地だったので、寒いかなぁと長袖2枚と半そで1枚持って行ってたのですが、長袖では暑いことに気づき始める。。

瞑想時は男女50人以上が一つのホールで集中するので、熱気でサウナ状態に。長袖は暑すぎて集中できたもんじゃなかった・・。

 

 この環境に少し慣れてきました。

 

4日目

4日目だけはいつもとスケジュールが違って、大事な日。

「ヴィパッサナー」の日でした。

昨日までの瞑想方法「アーナーパーナ」じゃなく、新しい大事な瞑想方法「ヴィパッサナー」を習います。

そして、瞑想時に痺れたら自由に組み替えていた足も、この日から一時間そのままの体勢を保たなくてはなりません。

 足の「痛み」との戦いです。

これはやってみなければわからないのですが、「痛み」を「感覚」としてフラットに見れる鍛錬でした。

物事に感情という色眼鏡をつけずに、ありのままを観察するといった感じです。

 

 確か15時頃から2時間くらいヴィパッサナーの音声でも講習を受けます。

そのときは1時間耐えることはできなくて、「くぅぅううっ」と感情的に悔しくなってしまいました(笑)

 

次の瞑想のタイミングのその日の夜にどうにか1時間忍耐して座り切ることができましたが、足がしばらくしびれっぱなしでした。

なんとなく、この無意味に思える「痛み」との戦いの必要性が少し感じられた夜でした。

 

 

5日目

昨日習ったばっかりのヴィパッサナーに取り組んでいきます。

昨日気力を使い果たしたのか、4:30~6:30の朝の瞑想時間に爆睡してしまいました。

沈黙が約束されているので、誰も起こしてくれないし、気にかけてもらうことはできません。

6:30の鐘の音で目を覚ましましたが、周りにはベッドで居眠りしていた人達の姿がわんさか。

ぶっちゃけ、「こんなにみんな寝てたのか・・」と思いました。

自分の中で4日目までは溢れていた気力というやる気が、少し緩んだことを実感しました。

 

というのも、ヴィパッサナーを行ってみて、この行為の深さを想像したら、10日間で取得できようものではないだろうし、帰宅してから続けていくことが大事なんだろうな、と憶測を勝手にたててしまったからです。

 

気張るよりも、集中できる時間に全力で取り組んで、集中できないときはちょっと気を抜いて気づける視野を拡げる努力をしようと、自分の中で完全に言い訳ができてしまったのです(笑)

 

同室の子が風邪をひいていてこの日から、喉からくる症状がわたしもきていて、すごく身体がだるかったのもありました。

昨日よりも気を抜いてしまったからだろうな、と反省しました。

 

よく、変化があると「好転反応が出る」と言いますが、この症状がそうだったのかもしれないし、風邪をもらったのかもしれないし、花粉がちょうどスタートしてアレルギーの出始めだったのかもしれないし、確実にこれという原因はわかりません。

 

6日目

ずいぶんと、環境に馴染み、話したことはないけれど、同室の子と違う宿舎の方の顔をだいたい把握しました。

きっとこんな人なんだろうな~とか、見た目や行動で想像したりして、煩悩はまだまだ溢れてました。

が、食堂に急ぐことや、せっかちに行動することはなくなっていました。

無ければない無い、困ったなら困った、そのありのままの現状で過ごそうとゆったりした気持ちになり、せかせか生き急いでるような人の姿が、客観的に見れるような感覚を覚えました。

 

そして2日目の講話で言っていた、「5~6日目に辛い気持ちになる」というのがこの日わかりました。

家に帰って自由に苦行などない生活を想像するタイミングが何度かあったり、「10日目まで、長い・・」と思うのです。

長い歴史のある方法だから数えきれないほどの人数の方たちが体験してきて、本当に統計もとれていて、洗練された方法になっているんだなと思いました。

 

きっと今全力でやらないと10日目や帰ってから、「もっと真剣にできた」と後悔するのだろうな、懸命にやらないともったいないぞせっかくの機会なのに。とは思うのです。

しかし中だるみする気持ちを全て抑えることはできませんでした。

ホールか自室どっちでもいい時間には、最後の30分くらい横になって昼寝などしているときもありました。

精神力が持たずに、眠気に負けてしまうのです。

 

あぁ~横になる時間がもったいない。でももう体力が・・眠気に勝てない・・と自分の中で戦っているときに周りを見ると何人もの人が寝息立てながら寝ているのです。

 

精神力が持たない人が多いから、ホールも自室もどちらも可能で、寝ていても何も言われない時間帯が、わざと準備されているのではないかとさえ思いました。

 

そして、この日は先生への質問うぃ休み時間にしに行きました。

唯一話せるマネージャーの方に「瞑想時の質問をさせてもらってもいいのですか?」と聞くと、「休み時間に自由に個別に面談ができるからそこに聞きに行きましょう」と教えてくれました。

ホールの入り口にホワイトボードがあるので、そこに名前を書くと順番にホール内に呼んでお話しができます。

 

12~12:40と、21~21:30までだったんですが、この日お昼には7人の予約者がすでにいてお風呂の時間に間に合わなかったので夜行かせてもらいました。

 

夜行くと先生が「昼間来てくれたみたいなのにごめんなさいね」と把握してくれてました。

夜の時間は奉仕者の方たちが5~6人真横にいる中で質問する形だったので緊張して声が震えてしましました(笑)

 

質問は

「4日目から、「瞑想状態」の感覚が何種類あって、痛みを感じながらも感覚に集中している状態の時と、

呼吸を意識して集中していくと、痛みもなにも感じないくらい感覚が消えて、音も耳と音の間に空気が存在して手も動かないような感覚になる2種類があります。

なんの違いなのでしょうか?」

と聞くと、

『来てくれてよかった。その呼吸の方は違います、間違っています。呼吸ではなく感覚です。』

と答えてくださり、

「録音の音声で心が荒立っているときなどは、呼吸の集中から始めましょうと言っていたので、呼吸から初めてみるときがあるのですがちがうのですか?」

とまた聞くと、

『それは呼吸ではなく、呼吸によって感じる鼻孔の下と上唇の間の三角形の部分を感じる「アーナーパーナ」から始めろということで、呼吸そのものではありませんよ』

「あぁ!勘違いしてしまっていました。呼吸そのものだと思っていました。ありがとうございました。」

 

ととんだ勘違いすることになる手前で気づかせてくれました。

呼吸に集中する瞑想法は、ヴィパッサナー瞑想とは言えないみたいです。

 

7日目

この日もお昼に質問に行かせてもらいました。

音声の説明で、「身体のてっぺんから足先まで、足先からてっぺんまで感覚が流れる感覚を感じ、微細な感覚と感じ取りなさい。微細な感覚の流れが感じ取れない場所があるならば、一か所ずつ上から感じ取っていきなさい」

となっていました。

よくわからず、

「2つ質問があるのですが、

上から下まで、下から上まで、感じ取れないところは改めて一か所ずつ上からということですが、感じにくい部分は上から下、下から上、と終わってから上から一か所ずつやっていくのか、

上からやっていってわかりにくいところがあれば、下から上に戻る前に一か所ずつ上からやっていっていいのかどちらなのでしょうか?」

と聞くと

『そんなに難しく考えなくていいんですよ。上から下、下から上ってやる中で感じ取りにくい部分を覚えていたら、よくわからなくなってしまうでしょう。上からいってそういう場所があったら、一か所ずつやっていっていいのですよ』と。

 

「ありがとうございます。もう一つ質問なのですが、足が痛くなってくることは必然的だと思うのですが、その痛みを感覚だと認識したまま、他の場所を見る時は2つの感覚を把握しておくのか、

足以外の場所を感じてるときにはその痛みは意識から消えるくらいの感覚でいた方がいいのか、どちらなのでしょうか?」

 

『それは、足以外を感じてるときは、痛みに意識はできることならいかない方がいいですよ。でも痛みが強すぎて他の感覚に集中できない場合は少し足を開いたりしてちょっとだけ動かしてもいいですよ。

ただ、足を動かすってなると意識が感覚から外れて、動かす方にいってしまうので、意識が感覚からはずれないようにしながら注意してくださいね』

 

とお話ししてくれました。

 

この質問からすごく心が軽くなったのを覚えています。

一時間激痛と戦うのは想像以上に厳しいです。今回の体験をするまで、瞑想している方たちが動かずに座っていることの本当のすごさを想像できることはなかったと思います。

もう、最初のうちは特に痛すぎて辛いのです、本当に。

何度、後ろにあるイスで瞑想させてくれって甘えた心を持ったかわかりません。

結局最後まで座布団でがんばりましたけど(笑)

 

 

8~9日目

いや~今日まで長かったな。あと2~3日かぁ。と思いました。

なんか8日目までが長かったような気がします。

 

瞑想の場所が田舎にあるので、いっぱいに広がる森林を眺めること、夜の綺麗な星空を眺める事、だけが楽しみでした。

 

昨日の質問で足を微動だにさせちゃいけないわけではない、ということを知ったので瞑想についても最初のころの楽しい気持ちが少し戻っていました。

 

でもなぜかこのあたりの日は、瞑想中に眠気に襲われることが多かったです。

痛みを集中して感覚としてとらえる努力よりも、眠気と戦う方がわたしは辛かった。。

 

風邪っぽい症状が出てから、徐々に進行してたので、身体がだるくてすぐ眠気に襲われる状態が続いた日でした。

 

夜の瞑想は集中できていて、7日目までより物凄く強い感覚が出るようになりました。

 

何も触れてないのに、右の襟足の部分を思いっきり、髪の毛掴まれて上に引っ張られているような感覚が続くのです。

一瞬おばけに思いっきり引っ張られてるんじゃないかと思いました。びっくりした。

ときにはそのような荒い感覚の部分は何も感じない鈍い部分になったりします。

 

そして集中していると、だいたい「微細な感覚」ではなく、「ピリピリした強くわかりやすい感覚(時には鈍い部分)」の箇所が同じことに気づいて来ました。

 

ときには電気のような強い感覚が走り、指がピクっと勝手に反応してしまうような強い痛みです。

デコルテに電気のようなピリピリした感覚がでることも多かったです。

 

 

10日目

本格的に瞑想できるのは今日が最後。

明日の最終日は、朝の4:30~6:30の瞑想のみです。

 

そして明日からの日常という下界に復帰するためのリハビリが行われます。

この日の午前中からホール以外での「会話」が解禁されるのです。男女分離などはそのままです。

 

ホールでの解禁を告げられ、部屋に戻るとそりゃもうザワザワザワザワしだしました。

みんな話したかったんだなぁ。規制されたことが爆発する様はまるでダイエット中のストレス爆発時に爆食いしてしまう様子に似ていました。

 

ある子は「話したくて話したくて辛かった」と言っていたし、

「話さないのは全然大丈夫だった」なんて言っていたり様々。

わたしは雨が降っていた日に、傘がなくて困っていた人に「一緒に入りますか?」の声もかけられず素通りしなきゃいけないとか、そういうことが辛かった。

 

優しさとは、とても純粋な綺麗なものであるけれど、「優しい気持ちでいたい」という自己欲求に近い押し付けの気持ちになってしまうこともあるんだなと感じました。

 

中には、合宿中に出血して病院に行ったら、妊娠発覚した!って子がいた。

なんかもう余計に感極まってしまって、命ってものに自然と涙が出そうになりました。

 

10日間有給使ってきていた公務員さん

ヨガのインストラクターさん

学生さん

元警察官さん

保育士さん

仕事をやめたタイミングできた

なんて方や外人の方も多くいました。

 

だいたいが、経験者に紹介されてきてましたね。

 

この日はなんだか人と話して気が抜けてしまって、もう瞑想いいよ~~なんてほとんどの人がぼやいてました(笑)

 

もしかして今日はもうないんじゃない!?とか言いながら、ホールのグループ瞑想だけはやっぱりあって、その時間だけはやるって感じの子が多かったです。

 

人付き合いが苦手な方も中にはいて、一人でしんみりと過ごしてたから、沈黙の解禁がされないほうがいいって思う方もいるんだろうな~って感じたり。

 

夜はうるさくなってしまうと寝れない人が出てくるから、食堂が22時まで解禁されて、部屋のおしゃべりはだめだけど、そこならいいよって感じでした。

 

わたしは食堂でお話ししてたけど、いろんな人の話しが聞けて面白かった。

外国でシャーマンから不思議な儀式を受けたことがある、とか日本に住んでたら聞けないような話もいっぱいあってホントに刺激になりました。

 

英語を話せる人が沢山いて、英語勉強したいって改めて心から思いました(笑)

 

11日目

朝の4:30の瞑想はいつもホールでも自室でも自由だったのですが、この日は全員参加で集合してくださいと言われます。

 

最後に聞く音声があったためです。

なんだか本当に長く長く感じた10日間だったけど、寂しいような終わるのがこわいような、早く多くの人たちに優しさを分けたいような色んな気持ちにさせてくれました。

 

参加しないとわからないってこういう気持ちを抱けることなんだろうな、と。

 

この6:30までの瞑想時間が終わると、ご飯をいただき、清掃をして9時ごろ帰ることになる。

 

沈黙が解禁されたタイミングで、食堂にて寄付のコーナーが出ているので、できる人はそこでします。

匿名でするのかと思ってたんですが、名前を書いて金額も記入されます。

個人的になんだかちょっと領収書の出る寄付方法に違和感があったので、振込用紙をもらいました。振込は郵便局の扱いでした。

 

7時の時点で特別な理由があったりする場合は先に帰る方も結構いたんですが、わたしは9時ころまで掃除しました。

食堂、キッチン、ホール、宿舎、トイレ、シャワールーム、草むしりなど、結構な量があります。

前日に食堂にて、掃除の配置を紙に記入して自由に場所を決めることができます。これも早い人から決まっていく感じです。

 

なんだか、早く帰れもしますが、わたしは最後に掃除ができて良かったなって、思いました。

感謝の気持ちを行動で残して帰れるって、ありがたいことです。

 

車で来てる人は車で帰り、バスの9:10発の時間より早く帰りたい人は相乗りでタクシーで帰り、となります、

バス停までは行きと同じように、スタッフの方が車で送ってくださいます。

 

わたしは迎えにきてもらったのですが、バスで帰ればよかったな~~なんて思いました。

こういうところで出会える方たちの波長をなるべく長く感じていたいし、普段繋がれるご縁とは別のものだと思うからです。

 

 

ヴィパッサナー瞑想に参加してみて

全日程書いていたら、こんなに長い文になってしまいました。

合宿中は読み物やメモは禁止されているので、曖昧な記憶の中から書かせてもらいました。もし誤差などあったらごめんなさい。

 

参加してみて、一番感じたことは、知りたいことは「外」でなく「内」にあるということでした。

 

自分を高めよう高めようと色んなことを勉強したり、一生懸命になってみたり、簡単ではない時間を過ごす中で、今回の合宿に参加させてもらいました。

 

ふと、頑張り方がズレて絡まってしまっている足を止め、自分の内側から見る事のできる時間や方法を手に入れられた機会でした。

 

行く前には、「宗教なんじゃない?」「あ~洗脳されるね」「怪しすぎ」「辞めとけば?」など散々言われました。

 

言わなきゃよかったって思うくらい、応援してくれる人より、応援してるふりして否定的な言葉を向けてくる人が何人もいました。

 

出発時は今度からこういうの周りに言うのやめよう。なんて思ってましたが、

これが今のわたしの周りの人の質の一部なんだなと、上からでも下からでもなく、フラットに見られるわたしで帰ってきました。

生き物や物は呼応しているので、周りを平静に見られるということは、ある意味自分を平静に見られるってことでもあると思うのです。

 

その中でも純粋に応援してくれる人たちはやっぱりいたので、存在に改めて感動を覚えることができました。

 

 

世界は自分の見え方、感じ方がこたえになっているんだと、頭ではなく、経験として体験できた一生忘れない出来事になりました。

 

 

こういった合宿や、マイナーなものは、

怪しい怪しいと言われるかもしれませんが、やっぱり、自分の素直な気持ちで芯を持って行動してあげられることが、自分を大切にしてあげられてるってことなんじゃないでしょうか?

 

周りに何思われるかより、「内」である自分がどう生きたいのか、常に感じてあげられる自分になりたいです。

 

 

この合宿には1年に一回は、参加させてもらった方がいいとのことですが、また参加するか?って言われると自信がありません(笑)

 

人それぞれ、やりたいと思えばやればいいし、

胡散臭いと思えば参加しなくていいと思うし、

そのまま受け取ればいいと思います。

 

ただ、やってみてわかる ということは間違いなくあると思います。

行動が規制されるといっても、瞑想中は自分の精神次第なので、参加するなら本気でやったほうがいいです。

 

だらだらすごしても怒られないし、寄付制なのでお金もかかりません。

 

でもそこには、歴史、ボランティア、寄付、時間、様々な真心が詰まった空間であるという感謝に気づいたとき、感じ取れるものがありました。

がんばってみる理由は現地で見つける要素もあったのです。

 

あなたは、「後悔になるかもわからない」という前提があるとき、

やらずに後悔するのか、やってみて後悔するのか、人生においてどっちを選ぶことがリスクだと思いますか??

 

自分の人生が刷り込まれた思い込みの人生だと気づけてますか?

 

 

気づいていない人がほとんどですが、

人は思い込みの中で生きています

 

今日の自分は昨日までの自分の記憶の最適化で生きている

人には恒常性(ホメオスタシス) というものが備わっていて、環境に順応する生き物です。

日々考えている思考は自分でも気づかないうちに、無意識化に記憶されています。

いつも自分が貧乏だ、貧乏だ・・と考えていれば、脳は自分は貧乏!と記憶し、その通りに環境を作ります。

 

 

 

 

 

 

例えば、

ティッシュは拭くもの。

ペンは書くもの。

あの人はいじわるな人。

 

って、思いますよね。

 

これがもう思い込みで出来ているんです。

 

思い込みと離れて生きている人は、

 

ティッシュ

・紙

・木

・メモ帳

・鼻血が出た時のための応急処置のために置いている

・インテリア

 

ペン

・思い出の詰まったプレゼント

・重り

・金属

・気持ちを綴るもの

 

あの人

・誰かの子供

・誰かの恋人

・誰かの友達

・いじわるなこともよく見たら優しさだった側面

 

1つの物事に対しての思考が数秒で無意識のうちに数倍の情報を拾えているんです。

 

多角的に物事をとらえることによって、視野が広がり今まで見えていなかったものが見えるようになります。

 

 

では、そのまま思い込みの中で生きて行くとどうなるか?

 

今の思考のまま生きて行くことになるということです。

今の思考のままということは、未来も今の人生レベルと変わりません。

現状維持が最高レベルだということです。

人生レベルっていうのは、例えば、幸福度や自分らしさ。

 

今の人生、自分らしく生きていますか?

自分らしくってなんですか?

毎日ワクワクして幸せ感じて生きていますか?

 

 

 

もし、すぐに頷けないのなら、思い込みという洗脳にかかっています。

 

 

 

思い込みというのは、自分自身で意図的にかけたわけではありません。

 

むしろ環境によって無意識のうちに外部から受ける要因が大きいです。

 

親だったり

教育だったり

環境だったり

影響には沢山の要因があります。

特に大きいのは親です。

 

では何故、ホメオスタシスという厄介なシステムが人間には組まれているのか?

 

 

それは「生存するためのプログラム」です。

一昨日や昨日、過去、今日まで生きれたという事実があるので、

「また今日も同じ生き方をすれば生き残れる確率が高い」

と認識します。

 

生命を守るためのプログラムが既に生き物には組まれているのです。

 

もし生きたいという思考が生まれなかったら?

そのプログラムがなかったら人類や動物も生き残っていけません。

 

そして、暑くなると汗をかいて熱を放出し、

寒くなると鳥肌をたてて体温を守ろうとするのもホメオスタシスです。

 

つまり生きてく上では必要な機能なんです。

 

なので、そのホメオスタシスと上手くお付き合いして

自分の理想を叶えましょうということです。

 

 

人にはコンフォートゾーンという、

自分の居心地が良く慣れ親しんだ環境や空間があります。

 

いつもの家でいつもの時間に起きて

いつものように家族に「おはよう」と言い、

いつもの電車に乗っていつもの会社に行く。

 

慣れていることに関しては緊張や居心地の悪さ、感じないですよね?

 

今現在、それが自分の理想であるなら問題ないのです。

 

今現在自分が毎日楽しく、生きがいも感じず

理想の自分で生きられてないならばコンフォートゾーンを変化させる(ズラす)

必要があります。

 

ホメオスタシスとは、

この持っているコンフォートゾーンに強く引き戻す力が働きます。

 

それも強く強く、無意識レベルで。

 

そのコンフォートゾーンでいれば危機感を感じず

昨日と同じように生き延びられると認識するから。

 

 

ここで、ホメオスタシス、コンフォートゾーンを使って

理想の環境を作ってしまえばいいのです。

 

 

コンフォートゾーンを今現在ではなく

自分の理想の未来に持っていく。

そこに強くリアリティが持てれば

ホメオスタシスは無意識レベルでそっちの環境を作り出します。

 

無意識で勝手にその環境を作り出してくれるので

わざわざ意識した努力はいりません。

 

必要なのは

楽しい、嬉しいなど+の情動と

理想の未来がすでに起こっていると強くリアリティを持つことです。

 

 

しかしこれがなかなか操るまでに努力が必要です。笑

五感でリアリティを感じる現在より、

五感のない脳の臨場感で生み出す世界の方に大きくリアリティを

いきなり感じることは困難です。

 

一度レベルを上げてしまえば未来は自由自在なのですが、

そこに達するまでに真剣さと知識、行動力が必要になります。

 

でも、自分のためだけでなく、

自分の大事な人にとってもとても+になる、

そんな貴重な知見です。

 

なので、自分の理想にリアリティを持つ訓練をしていく必要があるのです。

 

そこの部分は

長くなってしまったので、また٩( ''ω'' )و

 

 

 

 

「神は細部に宿る」言葉の真相を考えてみた

 

「神は細部に宿る」

この言葉の 発祥については不明確であり、

一説にはフランス作家ギュスターヴ・フローベールの言と言われている。 

そしてこの言葉を有名にしたのが、

ドイツ建築家であるミース・ファン・デル・ローエ

ドイツ美術史家のアビー・ヴァールブルク、

オーストリアユダヤ人のイギリスのエルンスト・ゴンブリッチだとされている。 

 

本当に素晴らしい技術やこだわりとは、一見ただけでは分かりにくい・・という意味で、

建築物や美術品に使われた。

 

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では、

建築家でない自分にとって、この言葉とは?

 

目標を持って生きていると、時間が

未来⇒現在⇒過去となっていることがわかります。

 

世の中一般的には

過去があって現在があり、その延長線で未来があると認識されてますが、

過去ありきの現在、そしてその現在の延長線上の未来では

現状維持が自分の中の最高のパフォーマンスとして生きることになります。

これが過去⇒現在⇒未来です。

 

未来(目標)を決めて生きて行くと、

先に未来が決定⇒目標に必要な事象に気づく現在⇒経験値としての過去

と逆の流れに気づくことができるんですね。

 

 

「神は細部に宿る」

目標達成(成功)に必要な事象が目の前に、来た時にアンテナを張って気づけること。

そしてその事象からどれだけの情報をキャッチできるのかということ。

つまり、「今」起こっている刹那刹那の事象に対して、どのくらいの思考ができるかということ。

 

 

例えば

「優しいね」という一言に関しても、感じ方は人それぞれ。

 

わたしって優しいのか とそれだけ受け取る人もいれば、

 

相手はわたしがしたことに対して、

どんな心境で

どんな意図を持って

どんな意味合いで伝えてくれたのか?

心の底からこれからも御縁を持ちたい気持ちで?

お人よしですね って嫌味で?

ただ素直な気持ちで感動して?

 

 

 

ちょっと一言に対して大げさに感じるかもしれませんが、

その事象からどれだけの情報を拾えるか、想起できるのか。

 

恋人同士で歩いてる時に通りがかった車を見て、

車の知識がない女性は「黒い車が通った」だけしか思いませんが、

相手が車好きな男性だった場合「なんていう車種の何年式のライトがこういじってある新型の車だ」

とまで情報を拾えるかもしれません。

 

これが情報量の少なさ、多さです。

 

この情報量の差で人生変わってきます。

 

情報を拾うということは

思い込みや洗脳を外した感覚でフラットにいるということが大事。

 

思い込みを外した自分ならば、

どんな未来も想像できませんか?

 

可能性は無限だと、気づきましたか?

 

目標は何だって達成できますよ。

 

本当に自分の可能性と未来を信じて、強くリアルに想像できるなら。

 

 

自分らしく生きるということ

 

自分らしく生きる。

自分らしく生きたい。

 

よく耳にする言葉(*^^)✨

 

とっても素敵なことだと思う。

わたしは

「誰のために、何のために生きてる?」って、

自分を幸せで満たして、溢れ出たハッピーを人に与えながら生きたいと思うから。

自分が満たされてないと人に本当に与える事はできない。

 

でもね、本当の自分らしさって今の社会に生きてたら

そんな簡単に見つけられてない人が多い。

 

年収3000万円稼ぐ

結婚して子供を産む

旅行三昧な暮らしをする

 

きっと理想って考えれば出てくるんだけど、

それって本当に自分の希望??

 

世の中の一般の「ステータス」「お金持ちといえば」「羨ましがられる女でいたい」

みたいな思い込みに洗脳されてない?

 

わたしは、リゾート地で豪華なホテルにリッチに泊まりましたって思い出よりも、

 

あまり知られてないような自然がそのまま残ってるような土地に行って、現地の方にその場でしか聞けないお話し聞いたり、郷土料理頂いたり、雲が近い空を見上げたり、大昔から生きてる大先輩の大木に触れたり、そんな思い出を作りたい。

 

それって、お金に対する在り方も、一般と自分らしさで違うと思うんだ。

 

「みんなが驚くような豪華で高いホテルに泊まって一流の時間を過ごしたいからお金が欲しい」

「自分がしたいことを時間やしがらみを気にせずやりたいから、労働に縛られないでいられるお金が欲しい」

では、

一般の感覚軸とか他人軸でお金を使うのか、

自分軸で自分のためにお金を使うのか少し感覚が違うと思う。

 

だから、自分が本当にしたいってことを深く考えないと人生に彷徨っちゃう。

 

 

一般に合わせて生きるって特別思考する手間もなく

生きやすく生きる事ってことだからそれはそれで幸せだと思う。

 

休む時間もなく

残業ばかりだけど、

これは仕事を頑張っている証だって、

誰かが蔓延させた美学よりも、

 

自分がしたいことに熱中して

楽しいから寝る時間ももったいなくてって方が絶対結果でると思わない?

 

だってしたくないことしてるときって、

どう回避するかって思考に持ってかれるから。

脳科学的にね。

 

夢中になってしたいことしてるときが一番自分の能力発揮できるの。

 

 

have to: しなきゃいけない

want to :したい

 

want to だらけの

自分がしたいことだらけの人生送れたら、死ぬとき気持ちいいと思わない?

 

 

 

まずは、一般的な洗脳から自分を解いてあげること。

 

自分の心がワクワクすること、

心が素直に動くこと、

探してあげてね(*´ω`)

 

 

 

 

 

人を褒めて良い関係作り

 

こんにちは。

おはなです。

 

いきなりですが、普段、意識して人のことを褒めたりしていますか?

 

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営業マンだったり接客業の方は、そういった本とか読まれていると思うのでされてるかもしれないですが(^ω^)

気の抜けたプライベートや日常ではどうでしょうか?

 

 

わたしは普段から、人様の褒めさせていただきたいところを見つける癖をつけ始めました。

 

なんでっかていうと、自分の気分も気持ちよくなれるし、何より観察力もつくからです。

褒めるなんて簡単だよ~と言って、お世辞なんか言ってもよっぽど鈍感でなければ相手は気づきますし(気づかないふりするお相手がほとんどでしょうが)、最悪信頼関係が崩れてしまいます(; ・`д・´)

 

相手のいいところを本音で見つけて、喜んでもらって自分も嬉しくなれるようなループを作ると、人間関係がガラっといい方面に変わっちゃいます。

 

人って、自分のこと認めて(褒めて)くれる人は大事にしたいし、信用するものなんです。

承認欲求ってものを人間は本能的に持っているので。

 

なので人間関係が上手くいかないな~とか、人と長い付き合いになかなかなれないな~って人は一度チェックしてみませんか\(^o^)/

 

 

持ってる物や外見から

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持ってるカバン・アクセサリーや時計・服・靴・傘・顔・髪・スタイル・メイク

素敵だな~って素直に思ったものを、いちいち言葉にして伝えます。

 思ってるだけじゃ相手は絶対わかりませんのでw

 

わざとらしくなっちゃいそう

褒める一言がなかなか言えない

って時は、前振りで準備を( ^ω^ )

 

「今日は雨でお出かけも大変ですよね~」

『そうよね~最近雨多くてねぇ。』

「本当ですよね。あ、そういえばわたし今新しい傘探してて、○○さんの傘素敵だなと思ったんですけど、いつもどこでお買い物されてるんですか?センスいいなぁって思ってたんですよね~」

 

持ってる傘がかわいいって伝えたい時ですね。

雨=傘 の流れで自然に伝えられます。

どこでお買い物してる?って聞いてるので、見本にさせてくださいって思っていることも間接的に伝わります。

 

あとは顔や髪型やメイクの場合だと、

 「あれ?髪型変えた?」

『そうなの~どう?』

「似合ってる^^○○ちゃん、季節に合わせてメイクも上手に変えるから、元々綺麗な顔だけど冬っぽい髪がより一層馴染んでてかわいい!」

『そんな綺麗なんかじゃないよ~!!』

「そうかな?まぁ他の人はわかんないけど、個人的に好みなんだよね!笑」

『え~~ありがとう!!』

って何個も褒めさせてもらっちゃうこともできます( ^ω^ )

 

 

 好きな芸能人を聞く

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 好きな芸能人を聞いておくと、相手の憧れや好みがわかります。

 

「好きな芸能人とかいるの?」

『ガッキーとかかなぁ。』

「おお~可愛いよね!男性は?』

竹野内豊とか!』

 

質問した相手が男性の場合

好みは新垣結衣さん(ナチュラルで笑顔がかわいい、細身)

憧れは竹野内豊さん (渋くて大人っぽい、声が良い)

 

女性の場合逆なので

憧れは新垣結衣さん

好みは竹野内豊さん

 

の確率が高いです( ^ω^ )

 

褒めたいときは、同性の方の雰囲気を当てはめてみる。

相手が女性だったら、「自然体で笑った顔がかわいくて素敵ですね~!」

逆の男性だったら、「スーツ渋く着こなしてて大人の男って感じでかっこいいです!」

 

ってその相手が目指してるであろう雰囲気をくみ取ってから伝えると、喜んでもらえる確率が上がりますよ♪

 

ガッキーではなく、北川景子さんや安室奈美恵さんとかだったら、

かわいいより、キレイ・かっこいい・セクシーな感じになりますね(*´▽`*)

 

 

 

これ実はデートにも使える技で・・

初デートの前に電話やLINEで好きな異性の芸能人を聞いておくんです。

当日はその芸能人に近いイメージの服装(清楚、シンプル、きれいめ、かっこいいetc)を意識すると、相手の好みの女性像に近づけます。

しかし服装や髪型は意識するにしても、中身まで演じるかはお任せしますw

キャラ作って人と会っても疲れちゃうので。

 

 

 

 

一番大事!

観察力を鍛えて感謝を伝える

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普段から他人に一斉の見返りなしで親切にし続けられる人はあまり多くありません。

 

そんな時に自分が親切にしたことに対して「ありがとう」って気づいてくれる人がいたらどうでしょうか(`・ω・´)

 

 

昔、男女6人くらいで花火をする機会があったんですよね。

女性はみんな友達でしたが、一人は先輩で元々知ってて他は初対面ってやつで。

 

ドンキホ〇テで花火買って車戻ろうか~ってなったときに、ライター買い忘れたことに気づいた男性が「買ってくるわ!」って車降りて行ったんですよ。

その時は「あ~何か一人で行かせるの申し訳ないな~」って思って何気なく付いて行ったんです。

 

無事買い終えてみんなで談笑しながら花火してたんですが、第一印象お伝えゲームみたいなのが始まって、それぞれ一人ずつ伝えていくんですよね。

 

優しそうだの、チャラそうだの、良い人そうだの。

 

そんな中、ライターの時に付いて行った人がみんなフワフワしたことを言ってる中、「さっき買い物の時も何気なく気使って付いてきてくれて、気が使える優しい子なんだなって思った」って言ってくれたんですよね。

 

こんな誉め言葉よく聞くことなんですけど、初対面が大半で「優しそう~wチャラそう~w」ってまともな意見ない中だったので、言ってもらえたわたしからしても「ああ、賢くて人の事ちゃんと見られる人なんだな」と、さも「物事の本質を見抜ける」人くらいに感じたのかもしれないですけど!笑

 

親切に気づいてくれたことに対しても嬉しいし、そこで感謝もしてくれることで、見返りとか完了しちゃうんですよね。

 

人に親切にするって、結局自分のためだと思うんです。

喜んでくれた姿を見たときや、ありがとうって言葉をもらって、自分自身が嬉しいから親切にしたくなるんだと思いません??

 

わたしは、相手がしてくれたことにしっかり気づいて、ちゃんと御礼を伝えるって最高の褒め方だと思います。

 

 

 

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人を肯定したり、褒めたりって

 

いい人間関係が構築できて、

自分も相手も幸せで、

相手のいいところに目が行くから好きになれて、

結局 自分が楽しい♡ってことですね( ^ω^ )!