人と話せない10日間・・ヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきた
「ヴィパッサナー瞑想」というものをご存知でしょうか?
約2500年前にインドの「仏陀」こと、「シッダルタ」という王子が悟りに辿り着いた方法です。
そんなヴィパッサナー瞑想の合宿に、一度も瞑想したことのないわたしが行ってきました。
これから行こうとしてらっしゃる方にとっては、先入観になってしまう恐れがあるのでお気を付けください。
瞑想の効果は人それぞれ、それこそ十人十色だと言います。
あなたの感覚の邪魔になる危険がありましたら、読まずにいてください。
とりあえず、結論!
行って良かったのか悪かったのかでいうと、間違いなく行ってよかった!です。
そもそもなんで行ったのか?
集中力がないのと、自分らしさが何なのかわからなかったからです。
「あ~今日は疲れてるから、しょうがないよね。明日にしよう」
「あれ?作業してたはずなのに、いつの間にか漫画読んでた」
など、自分に甘くさぼってしまったり、
部屋の掃除してたら懐かしい写真とか手紙読んでて、もう夜になってた。なんて経験ないですか?
わたしはそりゃもう頻繁に。毎日のようにあったんです。
「時間」というのはダイレクトに自分の「命」であると思っているのに、こんなに無駄にしてていいのだろうか・・気持ちはあるのに、行動が伴わない・・なんて日々。
そして、脳科学的にも「やらなきゃいけないこと」って意識で仕事や物事に取り込むよりも、「やりたい!」とワクワクしながら取り組んだ方が結果も気持ちもプラスであることは事実。
でも、心から「やりたい!」とワクワクすることが、収入に繋がる糸口が見えずに、、何したらいいんや・・わたしゃ何がしたいんや・・と悶々としていました。
そこで、「人生変えよう」と思い立って仕事をやめたので、このタイミングで10日間の山籠もり(笑)のような合宿に行ってきたのです。
初日
14~17時集合とのことだったので、16時ごろにつくように行きました。
最寄りのバス停まで送迎車を出してくれてるみたいですが、送ってもらったので、それより早く着きました。
着いたはいいけど、建物と自然があるだけでどこに行っていいのかわからずおろおろしていると、男性のスタッフさんが気づいてくれ、「初めての方ですか?そこのベンチのところに荷物を置いて、女性は奥が受付なのであちらに行ってください。」と案内してくれました。
「貴重品もですか?」と聞くと、「貴重品は、財布とスマホを預けるので持って行ってください」と。
そして受付で、初心者は相部屋のA棟に泊まるのですが、8番ベッドの紙を渡されました。B棟は「古い生徒」さん用の経験者用の棟になっています。
A棟に入ってみると、2~3人の外人さんが中にいました。
ベッドにシーツなどの準備をしていると、6番まではベッドの両側にカーテンの仕切りがついてて、一人の空間を作れますが、7番以降はカーテンの仕切りもなく、他の方のベッドと30~50センチちょっとの隙間しかないことに気づきました。
まじか・・と。
なので6番以降の10個のベッドはみんな丸見え状態で過ごしたり寝たりということ。
多分・・現地に着いた順なのかな??
(でも最終日まで間間に3~4個空いたベッドがあったので、どう決まっているのかは謎です。)
ベッドの案内と同時に瞑想時の席の番号も渡されます。(瞑想時も10日間同じ席に座ります。)
受付の際に当日はシャワーできるのが21時すぎになるので、準備が終わったら先に入ってしまった方がいいと、言われたのでとりあえずシャワーに。
5:30からオリエンテーションがあるので、その前に済ませました。これは正解だったと思う。
初心者の女性が18人(A棟)と、経験者の女性10人くらい(B棟)で3つのシャワー室を使うので、いつでも入れるわけではないのです。10人なのかは曖昧だけど、初心者の人数よりは少なく募集してるはず。
でもドライヤーが見つからなくて、「え?え?持ち物にドライヤーって書いてあったっけ??」と思いながら、部屋に戻り隣のベッドの方に聞くも、日本語通じず、、!「ドゥライヤぁー!ヘア!ヘア!」などと聞くと、「モッテキテナイ」的なことをお返事頂きました。
どうすっかなーと、荷物の整理の続きをしていると、「シャワールーム、サイドアウト、ドライヤー」的なワードをシャワー室を指しながらさっきの外人さんが教えてくれました。
行ってみると、シャワー室の横に青い金属箱の中に数台のドライヤーが。助かった。
その後
18時:菜食が出る
19時:コースマネージャーの方(合宿中困ったことがあれば唯一話しかけていい方)や、スタッフさんの自己紹介やご挨拶、コース中の注意事項の説明
20時:一度目の瞑想
21時30分:就寝
となっていました。
オリエンテーションが終わったときから、「聖なる沈黙」と呼ばれる、話してはいけない、触れてはいけない、期間のスタートです。
初日はまだ環境を把握するのにドギマギしていて、瞑想については1時間じっと座るって、長いんだなぁ・・くらいで終わりました。
しかし相部屋に慣れておらず、耳栓を持って行ったのに周りの音が気になって一睡もできずに、朝の4時を迎え2日目がスタートしました。
2日目
2日目から最終日までのスケジュールは、4日目以外は全て一緒です。
午前4時: | 起床 | |
午前4時30分~6時30分: | ホールまたは自分の部屋で瞑想 | |
午前6時30分~8時: | 朝食と休憩 | |
午前8時~9時: | ホールにてグループ瞑想 | |
午前9時~11時: | ホールまたは自分の部屋で瞑想 | |
午前11時~12時: | 昼食 | |
午後12時~1時: | 休憩および指導者への質問 | |
午後1時~2時30分: | ホールまたは自分の部屋で瞑想 | |
午後2時30分~3時30分: | ホールにてグループ瞑想 | |
午後3時30分~5時: | ホールまたは自分の部屋で瞑想 | |
午後5時~6時: | ティータイム | |
午後6時~7時: | ホールにてグループ瞑想 | |
午後7時~8時15分: | 講話 | |
午後8時15分~9時: | ホールまたは自分の部屋で瞑想 | |
午後9時~9時30分: | ホールにて質問 | |
午後9時30分: | 就寝 |
バイブレーション式のアラーム腕時計をわざわざ買って行ったので、3:55にかけて起床しました(寝てないけど)。
シャワールームと同じ建物にある洗面に行くと2~3人しかおらず。もっといるかとおもったのに、混んでおらず爽快。
ここには自由に飲めるお茶、水、お湯が置いてあるので、ガブガブ飲んで4:30からホールに行きました。
すると、空腹でがぶ飲みしたせいで、しーーーんとしているホール内に「グギュルルルルルゥ」とお腹の音が響き渡る結果に。他にも鳴っている方は結構いるのですが、ここまで大きい音で鳴ってなかったので、ちょっと恥ずかしくなり変な汗かきました。
次は瞑想前は水分少な目で挑んでみようと思いました。
日程表に書いておる通り、瞑想時は「ホールまたは自分の部屋で瞑想 」と「ホールにてグループ瞑想 」があります。
なんのことかと思っていたのですが、「ホールまたは自分の部屋で瞑想 」は自分のベッドの上でやってもいいよ~ってことで、「ホールにてグループ瞑想」は1時間ホールから出ちゃだめだし、絶対瞑想に集中する時間みたいな感じでした。
ベッドの上じゃなぁと思って、せっかくきたなら最大限の努力するぜ!スタンスだったわたしは、「ホールまたは自分の部屋で瞑想 」のときも全部ホールに行ってました。
とはゆうても、2時間くらいずっと座っていることは厳しいので、眠くなってしまったときに、目を覚ましがてら宿舎に飲み物飲みに帰りました。
すると、なんと、ほとんどの人が寝ている・・!!!「えええぇええ」と思いました。
こんなとこまで何しにきてるんや・・お昼寝にきたんか・・と。
その中で瞑想してみましたが、物音を気にしない人もいるし、寝返りするシーツやいびきはうるさいし、ホールに戻りました。
食事もセルフ形式なので、なくなったらやだなぁと早めに食堂に行っていたし、寝る時も耳栓して寝たし、なんだか焦ったり疲れたけど気力で疲れを感じないような一日でした。
ご飯は、美味しい!!ってクオリティではないけれど、普段お肉を避けているわたしにとってはとても安らぐものでした。
そういえばシャワーは2日目からは時間表で、何時に誰が入るとか予定表に書きます。これ・・記入順の早いもの勝ちだったなぁ・・。
一日ずつ時間決めるものだと思ってたけど、10日分全部最初に記入できるみたいで、気づいた人から良さげな時間を取ってました。
わたしはせかせかせずにいたら、空いていたお昼の時間帯になりました。
シャワールームの横にホワイトボードがかけられているので、名前を記入して予約しておきます。
毎晩19~20:30に講話の時間があります。
この日の講話では「2日目、そして5~6日目に辛くなり、この場から逃げ出したいと思うと思います」などとそのときの心境をズバリあててくるような話しが流されます。
このズバリ言ってくる、5~6日目の辛さをわたしはまだ知りませんでした。
3日目
昨日そんなに早く起きなくても4:30からの瞑想に間に合うことがわかったので、4時の鐘の音に合わせて起きました。
4:10以降からは洗面が少し混みあうようです。
昨日の腹鳴り爆音問題を受けて、今日は水分を半口だけ飲んで朝の瞑想に。
すると、昨日のような音は鳴らず!!
まさか瞑想でお腹まで観察できると思ってなかったので、自分の身体に気づくってこういうことでもあるのか・・と思いました。
今日も瞑想は全部ホールに行きました。
そして、奥地だったので、寒いかなぁと長袖2枚と半そで1枚持って行ってたのですが、長袖では暑いことに気づき始める。。
瞑想時は男女50人以上が一つのホールで集中するので、熱気でサウナ状態に。長袖は暑すぎて集中できたもんじゃなかった・・。
この環境に少し慣れてきました。
4日目
4日目だけはいつもとスケジュールが違って、大事な日。
「ヴィパッサナー」の日でした。
昨日までの瞑想方法「アーナーパーナ」じゃなく、新しい大事な瞑想方法「ヴィパッサナー」を習います。
そして、瞑想時に痺れたら自由に組み替えていた足も、この日から一時間そのままの体勢を保たなくてはなりません。
足の「痛み」との戦いです。
これはやってみなければわからないのですが、「痛み」を「感覚」としてフラットに見れる鍛錬でした。
物事に感情という色眼鏡をつけずに、ありのままを観察するといった感じです。
確か15時頃から2時間くらいヴィパッサナーの音声でも講習を受けます。
そのときは1時間耐えることはできなくて、「くぅぅううっ」と感情的に悔しくなってしまいました(笑)
次の瞑想のタイミングのその日の夜にどうにか1時間忍耐して座り切ることができましたが、足がしばらくしびれっぱなしでした。
なんとなく、この無意味に思える「痛み」との戦いの必要性が少し感じられた夜でした。
5日目
昨日習ったばっかりのヴィパッサナーに取り組んでいきます。
昨日気力を使い果たしたのか、4:30~6:30の朝の瞑想時間に爆睡してしまいました。
沈黙が約束されているので、誰も起こしてくれないし、気にかけてもらうことはできません。
6:30の鐘の音で目を覚ましましたが、周りにはベッドで居眠りしていた人達の姿がわんさか。
ぶっちゃけ、「こんなにみんな寝てたのか・・」と思いました。
自分の中で4日目までは溢れていた気力というやる気が、少し緩んだことを実感しました。
というのも、ヴィパッサナーを行ってみて、この行為の深さを想像したら、10日間で取得できようものではないだろうし、帰宅してから続けていくことが大事なんだろうな、と憶測を勝手にたててしまったからです。
気張るよりも、集中できる時間に全力で取り組んで、集中できないときはちょっと気を抜いて気づける視野を拡げる努力をしようと、自分の中で完全に言い訳ができてしまったのです(笑)
同室の子が風邪をひいていてこの日から、喉からくる症状がわたしもきていて、すごく身体がだるかったのもありました。
昨日よりも気を抜いてしまったからだろうな、と反省しました。
よく、変化があると「好転反応が出る」と言いますが、この症状がそうだったのかもしれないし、風邪をもらったのかもしれないし、花粉がちょうどスタートしてアレルギーの出始めだったのかもしれないし、確実にこれという原因はわかりません。
6日目
ずいぶんと、環境に馴染み、話したことはないけれど、同室の子と違う宿舎の方の顔をだいたい把握しました。
きっとこんな人なんだろうな~とか、見た目や行動で想像したりして、煩悩はまだまだ溢れてました。
が、食堂に急ぐことや、せっかちに行動することはなくなっていました。
無ければない無い、困ったなら困った、そのありのままの現状で過ごそうとゆったりした気持ちになり、せかせか生き急いでるような人の姿が、客観的に見れるような感覚を覚えました。
そして2日目の講話で言っていた、「5~6日目に辛い気持ちになる」というのがこの日わかりました。
家に帰って自由に苦行などない生活を想像するタイミングが何度かあったり、「10日目まで、長い・・」と思うのです。
長い歴史のある方法だから数えきれないほどの人数の方たちが体験してきて、本当に統計もとれていて、洗練された方法になっているんだなと思いました。
きっと今全力でやらないと10日目や帰ってから、「もっと真剣にできた」と後悔するのだろうな、懸命にやらないともったいないぞせっかくの機会なのに。とは思うのです。
しかし中だるみする気持ちを全て抑えることはできませんでした。
ホールか自室どっちでもいい時間には、最後の30分くらい横になって昼寝などしているときもありました。
精神力が持たずに、眠気に負けてしまうのです。
あぁ~横になる時間がもったいない。でももう体力が・・眠気に勝てない・・と自分の中で戦っているときに周りを見ると何人もの人が寝息立てながら寝ているのです。
精神力が持たない人が多いから、ホールも自室もどちらも可能で、寝ていても何も言われない時間帯が、わざと準備されているのではないかとさえ思いました。
そして、この日は先生への質問うぃ休み時間にしに行きました。
唯一話せるマネージャーの方に「瞑想時の質問をさせてもらってもいいのですか?」と聞くと、「休み時間に自由に個別に面談ができるからそこに聞きに行きましょう」と教えてくれました。
ホールの入り口にホワイトボードがあるので、そこに名前を書くと順番にホール内に呼んでお話しができます。
12~12:40と、21~21:30までだったんですが、この日お昼には7人の予約者がすでにいてお風呂の時間に間に合わなかったので夜行かせてもらいました。
夜行くと先生が「昼間来てくれたみたいなのにごめんなさいね」と把握してくれてました。
夜の時間は奉仕者の方たちが5~6人真横にいる中で質問する形だったので緊張して声が震えてしましました(笑)
質問は
「4日目から、「瞑想状態」の感覚が何種類あって、痛みを感じながらも感覚に集中している状態の時と、
呼吸を意識して集中していくと、痛みもなにも感じないくらい感覚が消えて、音も耳と音の間に空気が存在して手も動かないような感覚になる2種類があります。
なんの違いなのでしょうか?」
と聞くと、
『来てくれてよかった。その呼吸の方は違います、間違っています。呼吸ではなく感覚です。』
と答えてくださり、
「録音の音声で心が荒立っているときなどは、呼吸の集中から始めましょうと言っていたので、呼吸から初めてみるときがあるのですがちがうのですか?」
とまた聞くと、
『それは呼吸ではなく、呼吸によって感じる鼻孔の下と上唇の間の三角形の部分を感じる「アーナーパーナ」から始めろということで、呼吸そのものではありませんよ』
「あぁ!勘違いしてしまっていました。呼吸そのものだと思っていました。ありがとうございました。」
ととんだ勘違いすることになる手前で気づかせてくれました。
呼吸に集中する瞑想法は、ヴィパッサナー瞑想とは言えないみたいです。
7日目
この日もお昼に質問に行かせてもらいました。
音声の説明で、「身体のてっぺんから足先まで、足先からてっぺんまで感覚が流れる感覚を感じ、微細な感覚と感じ取りなさい。微細な感覚の流れが感じ取れない場所があるならば、一か所ずつ上から感じ取っていきなさい」
となっていました。
よくわからず、
「2つ質問があるのですが、
上から下まで、下から上まで、感じ取れないところは改めて一か所ずつ上からということですが、感じにくい部分は上から下、下から上、と終わってから上から一か所ずつやっていくのか、
上からやっていってわかりにくいところがあれば、下から上に戻る前に一か所ずつ上からやっていっていいのかどちらなのでしょうか?」
と聞くと
『そんなに難しく考えなくていいんですよ。上から下、下から上ってやる中で感じ取りにくい部分を覚えていたら、よくわからなくなってしまうでしょう。上からいってそういう場所があったら、一か所ずつやっていっていいのですよ』と。
「ありがとうございます。もう一つ質問なのですが、足が痛くなってくることは必然的だと思うのですが、その痛みを感覚だと認識したまま、他の場所を見る時は2つの感覚を把握しておくのか、
足以外の場所を感じてるときにはその痛みは意識から消えるくらいの感覚でいた方がいいのか、どちらなのでしょうか?」
『それは、足以外を感じてるときは、痛みに意識はできることならいかない方がいいですよ。でも痛みが強すぎて他の感覚に集中できない場合は少し足を開いたりしてちょっとだけ動かしてもいいですよ。
ただ、足を動かすってなると意識が感覚から外れて、動かす方にいってしまうので、意識が感覚からはずれないようにしながら注意してくださいね』
とお話ししてくれました。
この質問からすごく心が軽くなったのを覚えています。
一時間激痛と戦うのは想像以上に厳しいです。今回の体験をするまで、瞑想している方たちが動かずに座っていることの本当のすごさを想像できることはなかったと思います。
もう、最初のうちは特に痛すぎて辛いのです、本当に。
何度、後ろにあるイスで瞑想させてくれって甘えた心を持ったかわかりません。
結局最後まで座布団でがんばりましたけど(笑)
8~9日目
いや~今日まで長かったな。あと2~3日かぁ。と思いました。
なんか8日目までが長かったような気がします。
瞑想の場所が田舎にあるので、いっぱいに広がる森林を眺めること、夜の綺麗な星空を眺める事、だけが楽しみでした。
昨日の質問で足を微動だにさせちゃいけないわけではない、ということを知ったので瞑想についても最初のころの楽しい気持ちが少し戻っていました。
でもなぜかこのあたりの日は、瞑想中に眠気に襲われることが多かったです。
痛みを集中して感覚としてとらえる努力よりも、眠気と戦う方がわたしは辛かった。。
風邪っぽい症状が出てから、徐々に進行してたので、身体がだるくてすぐ眠気に襲われる状態が続いた日でした。
夜の瞑想は集中できていて、7日目までより物凄く強い感覚が出るようになりました。
何も触れてないのに、右の襟足の部分を思いっきり、髪の毛掴まれて上に引っ張られているような感覚が続くのです。
一瞬おばけに思いっきり引っ張られてるんじゃないかと思いました。びっくりした。
ときにはそのような荒い感覚の部分は何も感じない鈍い部分になったりします。
そして集中していると、だいたい「微細な感覚」ではなく、「ピリピリした強くわかりやすい感覚(時には鈍い部分)」の箇所が同じことに気づいて来ました。
ときには電気のような強い感覚が走り、指がピクっと勝手に反応してしまうような強い痛みです。
デコルテに電気のようなピリピリした感覚がでることも多かったです。
10日目
本格的に瞑想できるのは今日が最後。
明日の最終日は、朝の4:30~6:30の瞑想のみです。
そして明日からの日常という下界に復帰するためのリハビリが行われます。
この日の午前中からホール以外での「会話」が解禁されるのです。男女分離などはそのままです。
ホールでの解禁を告げられ、部屋に戻るとそりゃもうザワザワザワザワしだしました。
みんな話したかったんだなぁ。規制されたことが爆発する様はまるでダイエット中のストレス爆発時に爆食いしてしまう様子に似ていました。
ある子は「話したくて話したくて辛かった」と言っていたし、
「話さないのは全然大丈夫だった」なんて言っていたり様々。
わたしは雨が降っていた日に、傘がなくて困っていた人に「一緒に入りますか?」の声もかけられず素通りしなきゃいけないとか、そういうことが辛かった。
優しさとは、とても純粋な綺麗なものであるけれど、「優しい気持ちでいたい」という自己欲求に近い押し付けの気持ちになってしまうこともあるんだなと感じました。
中には、合宿中に出血して病院に行ったら、妊娠発覚した!って子がいた。
なんかもう余計に感極まってしまって、命ってものに自然と涙が出そうになりました。
10日間有給使ってきていた公務員さん
ヨガのインストラクターさん
学生さん
元警察官さん
保育士さん
仕事をやめたタイミングできた
なんて方や外人の方も多くいました。
だいたいが、経験者に紹介されてきてましたね。
この日はなんだか人と話して気が抜けてしまって、もう瞑想いいよ~~なんてほとんどの人がぼやいてました(笑)
もしかして今日はもうないんじゃない!?とか言いながら、ホールのグループ瞑想だけはやっぱりあって、その時間だけはやるって感じの子が多かったです。
人付き合いが苦手な方も中にはいて、一人でしんみりと過ごしてたから、沈黙の解禁がされないほうがいいって思う方もいるんだろうな~って感じたり。
夜はうるさくなってしまうと寝れない人が出てくるから、食堂が22時まで解禁されて、部屋のおしゃべりはだめだけど、そこならいいよって感じでした。
わたしは食堂でお話ししてたけど、いろんな人の話しが聞けて面白かった。
外国でシャーマンから不思議な儀式を受けたことがある、とか日本に住んでたら聞けないような話もいっぱいあってホントに刺激になりました。
英語を話せる人が沢山いて、英語勉強したいって改めて心から思いました(笑)
11日目
朝の4:30の瞑想はいつもホールでも自室でも自由だったのですが、この日は全員参加で集合してくださいと言われます。
最後に聞く音声があったためです。
なんだか本当に長く長く感じた10日間だったけど、寂しいような終わるのがこわいような、早く多くの人たちに優しさを分けたいような色んな気持ちにさせてくれました。
参加しないとわからないってこういう気持ちを抱けることなんだろうな、と。
この6:30までの瞑想時間が終わると、ご飯をいただき、清掃をして9時ごろ帰ることになる。
沈黙が解禁されたタイミングで、食堂にて寄付のコーナーが出ているので、できる人はそこでします。
匿名でするのかと思ってたんですが、名前を書いて金額も記入されます。
個人的になんだかちょっと領収書の出る寄付方法に違和感があったので、振込用紙をもらいました。振込は郵便局の扱いでした。
7時の時点で特別な理由があったりする場合は先に帰る方も結構いたんですが、わたしは9時ころまで掃除しました。
食堂、キッチン、ホール、宿舎、トイレ、シャワールーム、草むしりなど、結構な量があります。
前日に食堂にて、掃除の配置を紙に記入して自由に場所を決めることができます。これも早い人から決まっていく感じです。
なんだか、早く帰れもしますが、わたしは最後に掃除ができて良かったなって、思いました。
感謝の気持ちを行動で残して帰れるって、ありがたいことです。
車で来てる人は車で帰り、バスの9:10発の時間より早く帰りたい人は相乗りでタクシーで帰り、となります、
バス停までは行きと同じように、スタッフの方が車で送ってくださいます。
わたしは迎えにきてもらったのですが、バスで帰ればよかったな~~なんて思いました。
こういうところで出会える方たちの波長をなるべく長く感じていたいし、普段繋がれるご縁とは別のものだと思うからです。
ヴィパッサナー瞑想に参加してみて
全日程書いていたら、こんなに長い文になってしまいました。
合宿中は読み物やメモは禁止されているので、曖昧な記憶の中から書かせてもらいました。もし誤差などあったらごめんなさい。
参加してみて、一番感じたことは、知りたいことは「外」でなく「内」にあるということでした。
自分を高めよう高めようと色んなことを勉強したり、一生懸命になってみたり、簡単ではない時間を過ごす中で、今回の合宿に参加させてもらいました。
ふと、頑張り方がズレて絡まってしまっている足を止め、自分の内側から見る事のできる時間や方法を手に入れられた機会でした。
行く前には、「宗教なんじゃない?」「あ~洗脳されるね」「怪しすぎ」「辞めとけば?」など散々言われました。
言わなきゃよかったって思うくらい、応援してくれる人より、応援してるふりして否定的な言葉を向けてくる人が何人もいました。
出発時は今度からこういうの周りに言うのやめよう。なんて思ってましたが、
これが今のわたしの周りの人の質の一部なんだなと、上からでも下からでもなく、フラットに見られるわたしで帰ってきました。
生き物や物は呼応しているので、周りを平静に見られるということは、ある意味自分を平静に見られるってことでもあると思うのです。
その中でも純粋に応援してくれる人たちはやっぱりいたので、存在に改めて感動を覚えることができました。
世界は自分の見え方、感じ方がこたえになっているんだと、頭ではなく、経験として体験できた一生忘れない出来事になりました。
こういった合宿や、マイナーなものは、
怪しい怪しいと言われるかもしれませんが、やっぱり、自分の素直な気持ちで芯を持って行動してあげられることが、自分を大切にしてあげられてるってことなんじゃないでしょうか?
周りに何思われるかより、「内」である自分がどう生きたいのか、常に感じてあげられる自分になりたいです。
この合宿には1年に一回は、参加させてもらった方がいいとのことですが、また参加するか?って言われると自信がありません(笑)
人それぞれ、やりたいと思えばやればいいし、
胡散臭いと思えば参加しなくていいと思うし、
そのまま受け取ればいいと思います。
ただ、やってみてわかる ということは間違いなくあると思います。
行動が規制されるといっても、瞑想中は自分の精神次第なので、参加するなら本気でやったほうがいいです。
だらだらすごしても怒られないし、寄付制なのでお金もかかりません。
でもそこには、歴史、ボランティア、寄付、時間、様々な真心が詰まった空間であるという感謝に気づいたとき、感じ取れるものがありました。
がんばってみる理由は現地で見つける要素もあったのです。
あなたは、「後悔になるかもわからない」という前提があるとき、
やらずに後悔するのか、やってみて後悔するのか、人生においてどっちを選ぶことがリスクだと思いますか??